風姿花伝第四、神儀云
 申楽神代の初まり
 仏在所には
 日本国に於ては
 平の都にしては
 当代に於て

風姿花伝第五、奥儀云
 一 序・風姿花伝の謂れ
 二 和州・江州・田楽の風体
 三 一座建立の寿福・衆人の愛敬
 四 寿福増長に対する戒

風姿花伝第六、花修云
 一 能の本を書く事
 二 作者の思ひ分くべき事
 三 強き・幽玄・弱き・荒きの別
 四 能と為手の位との相応

花伝書別紙口伝
 一 花を知る事
 二 細かなる口伝
 三 物真似に似せぬ位
 四 能に十体を得べき事
 五 能によろづ用心を持つべき事
 六 秘する花を知る事
 七 因果の花を知る事
 八 能の善き悪き
 九 一代一人の相伝

 

 

 

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 花伝書は能楽大成者たる世阿弥元清の述作であつて、能楽芸術論の大綱とも見るべきものは、殆んどこの中に網羅せられてゐる雄篇である。而してその成立は、年来稽古条々・物学条々・問答条々の三篇が応永七年に成り、神儀・奥儀の二篇が応永九年に書かれたものである事は、問答条々の終や奥儀の終に記された奥書によつて明瞭に知り得られる。第六篇の花修及び第七篇の別紙口伝の成立年代に就ては、花修には奥書の年月が記されて居らず、別紙口伝には元次への相伝の奥書は見えるが、成立年代を示すものではない。従つてこの二篇の成立年代は確定的には知り得られぬものであるが、別紙口伝も応永九年の頃には成立して居たものであるまいかと想像し得る手がかりはある。それは、応永七年に成つた問答条々の最後の段に記されてゐる、

たゞまことの花は、さく道理もちる道理も、人のままなるべし。さては久しかるべし。このことわりを知らん事如何すべき。若にあるべきか。

といふ記事である。これによれば、問答条々を記した際には、別紙口伝はすでに書かれて居たか、又書かれては居なくても、大体の腹稿は既に出来て居たものと考へられる。若しかやうなものが全然無いならば、「若別紙の口伝にあるべきか」といふ事は言へない筈であるからである。それで、早ければ応永七年には出来てゐたか、おそくとも、奥儀篇の書かれた応永九年には出来てゐたらうと想像されるのである。この想像を側面から支持するかと思ふ資料は、花鏡の奥書である。それには、

風姿花伝、年来稽古より別紙に至るまでは、此道を顕ス花智秘伝也。是は亡父芸能色々を、廿余年間、悉為書習得条々也。此花鏡一巻、世阿私に四十有余より老後ニ至まで、時々浮ム所ノ芸得、題目六ケ条、事書十二ケ条、連続為書、芸跡トシテ残所也。

と記されてゐる。即ち花伝書七篇は亡父の庭訓を録したものであるといふ事柄と、彼の独創になる花鏡は四十以後の彼の意見であるといふ記事より見て、花伝書は大体彼四十歳頃までに完成してゐたものでないかといふ想像が成り立つ。世阿弥の四十歳は応永九年に当り、奥儀篇の奥書の年と同年である。花伝第六花修については、第七別紙口伝が大体応永九年頃に書かれてゐたとすれば、それまでに第六篇も書かれてゐたものと考へて良いであらう。

 観阿弥の歿したのは至徳元年であるから、世阿弥廿二歳の時である。父の庭訓は世阿弥の心の中で十五六年間の醞醸を経て、花伝書としてまとめられたのであるから、その中には世阿弥の体験や意見も多少は加はつて居たかと思ふが、問答条々の終に「凡そ家をまほり、芸をおもんずるによつて、亡父の申し置きし事どもを、心底にとどめて、大概を録す」と述べ、奥儀の終にも「およそ花伝の中、年来稽古よりはじめて、この条々を註すところ、全自力より出づる才覚ならず、幼少以来、亡父のちからを得て人となりしより廿余年が間、目にふれ耳に聞き置きしまま、其の風をうけて、道のため家の為、是を作するところ、私あらんものか」と記して居る点より見て、大体に於て亡父観阿弥の意見の祖述であると考へて良いかと思ふのである。

 次に花伝書の組織体系を見ると、十六部集中で、最も整然としたまとまりを以て記されてゐる事に気づくのである。年来稽古条々を第一に置いたのは、斯芸に於ける最も大切な要件を生涯稽古にありと断じたもので、修行工夫を第一とする精神がうかがはれ、第二に物学条々を据ゑたのは、その稽古の目標理想を示したものと見得る。かく、目標理想が示され、修行工夫の年齢に応じた要点が力説されてゐるから、これに従つて進めば、習道方面に於ては大体芸能完成への道は開かれてゐるわけである。よつて第三には、実際の演能に際して、其の習得した芸能を最も効果的に発揮して、所謂芸の花を咲かすべき方法故実を闡明するのが当然必要となつて来る。この立場で演出秘訣を述べたものが問答条々である。以上の三篇を以て、彼の秘伝書は一先づまとまりを告げてゐる。この習道論と演出論とは、打て一丸となすべきもので、それは成立の心理の上から見ても、ほぼ同時に作成せられたものと見ねばならない。次に第四神儀篇に於ては、世阿弥は翻つて猿楽といふ芸道の歴史的由緒を説いて、その尊厳さを感ぜしめ、家芸を重んずる精神を養はうとする志を見せ、第五奥儀篇に於ては、花が能の生命であること、及びその花の完全なる把握への示唆、並びに、一座建立の寿福をかち得るが為の工夫公案を述べてゐる。この神儀・奥儀の二篇は、前の三篇と相俟つて、花伝書に第二次の体系をあたへるもので、以上の五篇によつて、世阿弥は、亡父の遺訓を体して為したる子孫への庭訓をば、大体完成したものと見るべきであらう。次に、第六篇の花修は、問答条々の中に於ける重要問題であつて、同篇に於て細論せられなかつた問題――能作論・強きと幽玄の論・相応を知り能を知るべき論――等について、詳細に説き及んだ篇であり、第七篇別紙口伝は、花伝書本篇に於て所々に言及せられ、特に問答条々に於て強調せられてゐる所の「花」といふことに関して、徹底的な解明を諸方面より与へた口伝であるから、この二篇の細論的秘伝を、奥儀までの五篇の本論に添付することによつて、其の欠を補ひ或は所論を深めて、花伝書に最後の完成を告げたものと見る事が出来るのである。

 

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