〔評〕 以上は
奥儀篇の序とも見るべき段である。風姿花伝の
年来稽古から
物真似条々、
問答条々と書き、それに
神儀篇を加へて、この
奥儀篇で終結せしめるに当つて、かやうな秘書を書くに至つた本意をのべたのである。一般世人の眼に触れる事を恐れ、子孫の庭訓を遺す為に記したものであるとのべ、次に、彼の時代の猿楽者流が、真に道を尊び守る精神に乏しく、一時的な世人の賞讃に安堵して、生涯を通して習ひ徹るといふ気魄の欠けてゐる事を慨歎して居る。これを、老人共通の繰言と笑ふ者が青年者流にはあるが、私は世阿弥の心を思ふと、芭蕉が晩年に「此道や行く人なしに秋の暮」と吐息と共に呻き出した、あの名人のみ感ずるといふ堪へ難い寂寥の感を、この数語の中にも聞くやうな感がする。世阿弥はただ、私心を去つて、至誠心より道を嗜み芸を重んぜよといふ。その境地から
花を自悟自得せよといふ心持である。能芸は勿論先人の風を継承してゆくものではあるが、
花は継承する事は許されない。花は自ら咲かすべきもの、そこに自己の工夫公案の必要があり、芸の錬磨の必要がある。そして、それ等の境地より生れる花は、その境地に到り得てはじめて、以心伝心、不言不語の間に伝へられるわけである。風姿花伝といふ名はこの意味を寓してゐると説くのである。