〔評〕 此段は、物真似の真似方についての総論をのべて居る。物真似としては、「何事をも残さずよく似せる」といふのが、その本旨である。又、かやうにすべての尊卑雅俗を悉く似せることによつて、猿楽は老若男女都鄙貴賤に歓迎せられて発展して来たものであつたと思はれる。
然るに、猿楽が武家、貴族等の愛顧をうけるに伴つて、そこに高雅な風情を尊ぶ風がおこり、所謂幽玄を尊重するやうになつて以来、幽玄の理想に合しない物真似を淘汰するに到つた。その現れが「似する事の人体によつて深浅あるべきなり」となつたのである。従つて此の段の眼目はこの点に置かれてゐる。
高貴な人体、花鳥風月の風雅なわざは、どこまでも精細に似せる。下賤なものでは、樵夫・草刈・炭焼・塩汲の程度にとどめる。この下の限界を考へて見ると、それは和歌や連歌の中に詠ぜられる程度であることに気づく。そして其の程度ならば、これはたしかに花鳥風月の世界に調和し、芸の風情を生み出し得る。従つて貴族の賞玩にも叶ふといふわけである。