〔評〕 此の段は、二つの事項をのべて居る。一つは「能に十体を得べき事」、他の一つは「年々去来の花を持つべき事」である。而して、その二つの条項をまとめるものは「能の花を数多く持つ」といふ所へ帰着してゆく世阿弥の意見である。この別紙口伝は「花」といふものを、様々な角度から詳説したものであり、すべての議論は、結局「花」に統一されて居るといふことを念頭に置いて読む時、この段の意味する所は極めて明瞭に理解せられると思ふ。
十体(*)については、語釈の条に於て述べたやうに、その個々の名目は今日は不明であるが、あらゆる基本的風体を総括したものと考へて良いであらう。それは「十体を色どる」といふ語から考へられる所である。例へば、老体といふのは一の基本風体であるが、その色どりによつて、高貴な老体、神の化身の老体、木こり炭焼の老体、船頭の老体などと、様々な特殊的な老体に分れてゆく。少くとも、老人面が、小牛尉、笑尉、皺尉、朝倉尉、舞尉、石王尉などといふ型に分れたのも、この色どりの変化に応ずるわけであつたと思はれる。くはしく分ければ、老人出現の曲は、各曲に於て、その老人そのものの色どりが相違するものといひ得るであらう。今日では、大体、面の種類と其の装束との組合せによつて、老人の色どり方の種類をほぼ定めてゐるやうである。女体、軍体等もこれと同じことが言ひ得られる。
「五年三年の内に、一遍づつも、珍らしく為替へる様ならんずるあてがひを持つべし」といふ語は、様々な事を我々に暗示する。同一の能は、五年目か三年目かに、珍らしく感ぜしめて、一遍づつ位演ずるやうにせよといふことは、一面から考へると、その長い年月の間に、同一の能を反覆しないでもすむやうに、多くの能数を持つやうの工夫をせよとの教訓でもあり得る。又他面から考へると、世阿弥をしてかく言はしめる程に、当時の能の曲数は夥しくあつたものではなからうかとも考へさせられるものがある。そして、かく多くの能を身に持つ事は、演者として能芸に安心立命を得しめるもの――如何となれば、花の種が尽きる心配がない故――であつたのである。
「年々去来の花」といふ言葉は、実に巧妙な言葉である。「人間各時代の特殊的芸風」とでも今日の人であれば言ふであらうが、それを極めて簡明にしかもわかり易く、かやうな術語であらはした言葉づかひに私は感心させられる。年若き時代に、年寄や年盛りの人の風体を身にそなへるといふことは、一寸普通の者には困難であるかも知れない。が、年寄りが、若い初心時代の風体や年盛りの風体を、忘れずして身に保つといふことは、努力の仕方によつては可能であらう。ただ、その時々の風体ばかりをして、過去の風体を仕捨てて顧みないといふのは、所謂「手折れる枝の花」で、まことに果敢なく惜しいわけである。この年々去来の花を、一身当芸に持つた為手は、亡父観阿弥ならでは二人と見及ばなかつた云々の語は、一面に観阿弥の名人であつた事を我々に告げると共に、又他面には、当時の猿楽者の演ずるものが、年齢と共に変つて行つたといふ様子を、我々に物語るものではあるまいか。
即ち、世阿弥時代には、若年時代には年若き人物に扮する能を、老年には老年の人物に扮する能をといふ風に、曲の選び方が、其の年齢と大体一致するといふのが原則的に考へられて居たのではあるまいか。それは、年寄つては、年若き能をするもをかしいといふ考を、他にも世阿弥は述べて居ることからも推測せられるかと思ふ。然るに、観阿弥は老年になつて、尚十六七に見えるやうの能を演じ得たといふのが、非常に珍らしく感ぜられたのであらう。今日に於ては、老年の為手が、若公達に扮する能を演じても、自然居士や花月の如き童子ものを演じても、少しも奇異に感ずるものは無くなつてゐる。これは、今日の役者が、年々去来の花を持つやうの修行をする習慣が出来てゐる為であらう。そして、これは曲数が大体二百番前後に限定せられ、大夫たる者は、何れの曲を望まれても、即座に演じ得られるやうな修行をつむべく定められた結果であらう。それに比べると世阿弥の時代は、どしどし新曲を作る時代であつたから、能を作る際には、その役者の年齢や芸風に応じたものを作るといふ風であり、従つて年齢相応のものを演ずるといふのが、当時の慣習ではなかつたかと思はれるのである。そして、かやうにして演ずる能は、いはばその時代限りで捨てて、再びこれを老後に演ずるといふやうな事は、あまりやらなかつたものかと考へられるのである。