〔評〕 十七八の失意時代が過ぎて、廿四五歳の得意時代がやつて来る。前代に苦痛の種となつた声・姿が、此の時代にはすべて良くなり、物真似芸も手に入つて、演ずる所は諸人に賞讃され、時には、名人と言はれた人と競演してもこれに勝つといふ、実に得意の絶頂である。しかし、ここに萌すものは慢心と自負心である。即ち此の時代の花は、一時の花に過ぎないものであるのに、それを真の花の如くに思ひ込んでしまふ。一かどの名人気取りで、自分の芸位より遥かに上のものと思ひ、至つた風体をしたり、本道を外れたやうな主張をやつたりする。これが此の時代の最も危険な所である。年若くして喝采せられた者が、その後進歩しないといふのは、この一時の花に酔ひ痴れる為である。見やうによれば、十七八の危険時代以上の危険時代とも言ひ得るであらう。
その危険さを脱するのは、やはり自己反省である。一時の珍らしさにもてはやされてゐるに過ぎないと悟ること、正格な物真似をしつかりやる事、自分よりも上位の人に事をとひ批評を求めること、これが、この危機を脱する方途である。正しい自己認識が出来れば、この危さは克服し得るのである。
これ必ずしも猿楽に限らぬ現象。諸芸に亙り何れもこれがある。新進としてもてはやされて、それで進歩がとまり下落の道をたどる例は、あまりにも多く、且つ痛ましい限りである。