風姿花伝第四、神儀云
 申楽神代の初まり
 仏在所には
 日本国に於ては
 平の都にしては
 当代に於て

風姿花伝第五、奥儀云
 一 序・風姿花伝の謂れ
 二 和州・江州・田楽の風体
 三 一座建立の寿福・衆人の愛敬
 四 寿福増長に対する戒

風姿花伝第六、花修云
 一 能の本を書く事
 二 作者の思ひ分くべき事
 三 強き・幽玄・弱き・荒きの別
 四 能と為手の位との相応

花伝書別紙口伝
 一 花を知る事
 二 細かなる口伝
 三 物真似に似せぬ位
 四 能に十体を得べき事
 五 能によろづ用心を持つべき事
 六 秘する花を知る事
 七 因果の花を知る事
 八 能の善き悪き
 九 一代一人の相伝

 

 

 

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風姿花伝第一、年来稽古条々 三十四五

この比の能、盛りの極めなり。こゝにて、この条々を究め悟りて、堪能になれば、定て天下に許され、名望を得つべし。若、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思程もなくば、如何なる上手なりとも、未真の花を究めぬ為手と知るべし。若し究めずば、四十より能は下がるべし。それ後の証拠なるべし。さる程に、上がるは三十四五までの頃、下がるは四十以来なり。返々、この頃天下の許されを得ずば、能を極めたりとは思ふべからず。此所にて尚慎むべし。此の比は過し方を覚え、又行先の手立てをも覚時分なり。この頃究めずば、この後天下の許されを得んとの事、返々堅かるべし。

 

〔口訳〕 此の時代の能は、一生涯の中で盛りの絶頂である。この際に、この花伝書に説く所の条々を究め悟つて、堪能の域に達すれば、定めて天下に名人として許され、名望を博する事が出来るであらう。若し此の時分に、天下の名人と許される事も出来ず、世間的名望も思ふほどでなければ、たとひ如何なる上手でも、まだ真の花を究めて居ない為手だと悟るべきである。若し真の花を究めて居ない者だつたら、四十以後からは能は下るに相違ない。即ちこれ、後になつてあらはれる証拠(花を究めてゐない証拠)であるといふべきだ。かやうな訳で、能の上達するのは、三十四五までの時代、下るのは四十以後である。くどく言ふやうだが、此の三十四五で天下の人々から名人として許されなかつたならば、能を究めたなどと思つてはならない。ここで尚十分に自己をつつしまねばならぬ。即ち此の時代は、今まで習得した芸能を完全に我がものとし、又今後の手立をもさとる時分である。この時分に花を究めなければ、これ以後に天下の許されを得ることは、それは到底不可能であらう。

 

〔評〕 三体物真似の始の二十四五歳から約十年の鍛錬工夫を経て、能に於ける極盛の時代が来る。この時代の仕事は、「真の花を究める」といふ一点にある。それは芸の鍛錬と、花を咲かすべき工夫をきはめるにある。花伝書に記す所の条々を究め悟るは、を究めてこれを自悟するのである。は芸の鍛錬修行の結果の方である。この両者は、「能と工夫の究まりたる為手」たるためで、その結果は真の花を獲得するのである。かくして天下に許され名望を得るのである。

 真に花を究めてゐるや否やは、何によつて判ずるかといへば、世人に許され名望が高くなるか否かで判ずるといふ。ここに芸道の面白さがある。一寸考へると、世人の批評や名望などといふものは、そんな判定の標準にはならないもののやうにも考へられるが、実際は、世阿弥のこの言葉は千載の真理だと思ふ。歌舞音曲や芝居などは、瞬時にして消えてゆく芸である。知己を百年の後に俟つといつたやうな文芸や造形芸術とはその点で非常なちがひである。文芸や絵画でも、当時に認められないで後世に認められるなどといふ例は、稀有である。名人上手であれば、生存時代に名望を得るといふのが当然であらう。

 

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