〔評〕 三体物真似の始の二十四五歳から約十年の鍛錬工夫を経て、能に於ける極盛の時代が来る。この時代の仕事は、「真の花を究める」といふ一点にある。それは芸の鍛錬と、花を咲かすべき工夫をきはめるにある。花伝書に記す所の条々を究め悟るは、
工夫を究めてこれを自悟するのである。
堪能は芸の鍛錬修行の結果の方である。この両者は、「能と工夫の究まりたる為手」たるためで、その結果は真の花を獲得するのである。かくして天下に許され名望を得るのである。
真に花を究めてゐるや否やは、何によつて判ずるかといへば、世人に許され名望が高くなるか否かで判ずるといふ。ここに芸道の面白さがある。一寸考へると、世人の批評や名望などといふものは、そんな判定の標準にはならないもののやうにも考へられるが、実際は、世阿弥のこの言葉は千載の真理だと思ふ。歌舞音曲や芝居などは、瞬時にして消えてゆく芸である。知己を百年の後に俟つといつたやうな文芸や造形芸術とはその点で非常なちがひである。文芸や絵画でも、当時に認められないで後世に認められるなどといふ例は、稀有である。名人上手であれば、生存時代に名望を得るといふのが当然であらう。