〔評〕 此の章の内容は四段に分ち得る。先づ童形で美声であるから、花めく時代であるといふ事。第二に、あまり細かい物真似をさせるべきでないといふこと。但し出来るならば、無理に抑制せずして、自然の発露にまかせて良い。第三に、如何に此の時代に巧妙であり立派でも、それは未だ一時の花であり、従つて、将来を卜定するには足りぬものであること。第四に、此の時代の稽古の要領は、容易な芸で花を咲かせ、一面に、謡・舞・働きに於ては、確実に楷書的に、念入りに稽古すべき事を説いて居るのである。
世阿弥の時代に於ては、稚児愛翫の風習の相当に盛んな時代であつた。美しい稚児姿の舞や、可愛いい声の謡には、感涙を流して嬉しがつた時代である。当時の僧侶の日録などを見ると、かやうな記事に屢〻遭遇する。さうした時代を考へてこの文をよむべきである。又、児でありながら、物真似なども巧みであると、往々非常な天才児あつかひをせられるものである。これは古も今も同様であるが、世阿弥等は、これを一時的なものと見抜いて、時分の花に過ぎぬと喝破してゐる。これは、遊楽習道見風書の第一段に、更に詳細に説かれてゐる。心すべき所である。
稽古に於ては、基礎を正確に念入りにやるべき事を教へ、見物の賞翫はその児の得手で容易な方面でつないで置いて、一面に、正確な基礎的訓練をつむべき事を注意してゐる。実に周到な心づかひである。