まえがき
総序
風姿花伝第一、年来稽古条々 七歳 十二三より 十七八より 二十四五 三十四五 四十四五 五十有余 📍
風姿花伝第二、物学条々 女 老人 直面 物狂ひ 法師 修羅 神 鬼 唐事
風姿花伝第三、問答条々 一 座敷を見て吉凶をかねて知る事 二 能の序破急 三 立合勝負の手立 四 立合勝負の不審 五 能の得手々々 六 能に位の差別を知る事 七 文字に当る風情 八 萎れたる風情 九 能に花を知る事
風姿花伝第四、神儀云 申楽神代の初まり 仏在所には 日本国に於ては 平の都にしては 当代に於て
風姿花伝第五、奥儀云 一 序・風姿花伝の謂れ 二 和州・江州・田楽の風体 三 一座建立の寿福・衆人の愛敬 四 寿福増長に対する戒
風姿花伝第六、花修云 一 能の本を書く事 二 作者の思ひ分くべき事 三 強き・幽玄・弱き・荒きの別 四 能と為手の位との相応
花伝書別紙口伝 一 花を知る事 二 細かなる口伝 三 物真似に似せぬ位 四 能に十体を得べき事 五 能によろづ用心を持つべき事 六 秘する花を知る事 七 因果の花を知る事 八 能の善き悪き 九 一代一人の相伝
風姿花伝第一、年来稽古条々 五十有余
この頃よりは、大方、不為ならでは、手立てあるまじ。麒麟も老ては土馬に劣ると申事あり。さりながら、真に得たらん能者ならば、物数は皆々失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし。忘父にて候し者は、五十二と申し五月十九日に死去せしが、その月の四日の日、駿河の国浅間の御前にて、法楽仕、その日の猿楽、殊に花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり。凡其の頃、物数をば、早今の初心に譲りて、安き所を少な少なと、色ひて為しかども、花は弥増しに見えし也。これ真に得たりし花なるが故に、能も枝葉も少なく老木になるまで、花は散らで残しなり。これ、目前、老骨に残りし花の証拠なり。 年来稽古、以上
〔口訳〕 此の頃からは、先づ大体、「せぬ」といふ方針をとる以外に手段もないやうである。諺に「麒麟も老ては駑馬に劣る」といふ語があるが、正に其通りだ。しかし、真に得法した名人ならば、今まで花をさかせた曲は皆演じ難くなり、善いにつけ悪いにつけ、見どころは少くなつてしまつても、花といふ妙趣だけは残るものである。我が亡父は、五十二歳の五月十九日に死去せられたが、その月の四日に、駿河国浅間神社の御前で法楽能を演じ、しかもその日の猿楽は殊に花やかで、見物人上下こぞつて賞讃したことであつた。その頃は、花を咲かせるやうな能はもうすべて初心の者にゆづり、自身は安い所を色香も控へ目控へ目にと演ぜられたのだが、その美事さは又一段と立派なものであつた。これは、真に悟得せられた花であつたから、能は枝葉も少くなり老木になるまでも、花は散らないで残つたのである。これ事実老骨に花が残つた証拠である。
〔評〕 五十有余といつた所を、最後のものとしたのは、観阿弥を標準としていつたものであらう。勿論五十余で引退するといふのは、今日の考からでは早きに過ぎる。これは室町初期、能楽の草創期を以て考へてやらねばならない。しかし、実際に、世阿弥の晩年時代には、芸の進歩と、鑑賞眼の進歩とで、六十歳以上の芸を賞翫するところまで行つて居り、音阿弥などは、特に老後の芸能のすぐれてゐることを以て賞せられて居る(蔭涼軒日録に詳しい)。これは、年齢の制限を、芸の力で克服したものであつて、七十歳位までは益〻光つてゆくといふのが、名人の持味であると思ふ。
底本:国立国会図書館デジタルコレクション『世阿弥十六部集評釈 上巻』能勢朝次 著