〔口訳〕 斯道の芸風は、大和と近江とで大分と相違がある。近江猿楽では、先づ優美な趣を第一義とし、物真似といふことを第二次的にして、風姿風情の美しさといふものを根本とする。大和猿楽に於ては、先づ物真似を第一義とし、様々の物真似を究め尽して、しかも優美の風体を得ようと努めるのである。しかし、真実の上手は、この何れの風体をも漏らす所なく備へて居るのであつて、一方的な風体ばかりしか演じないといふのは、まだ真に得たる名人とは申し難いのである。
世人は、大和猿楽の風体は、物真似や儀理を基本として、或は長のある風姿や、或は怒れる振舞などと、様様の物数をつくす所が、その得意とする所だと思ひ、又実際に、大和猿楽者の工夫錬磨もこれを専らとするものではあるが、亡父観阿が盛名を博した頃、「静が舞の能」や「嵯峨大念仏の女物狂の能」など、殊に得意とした風体であつたので、天下の絶讃を博し名望を得たことは、誰知らぬ者もない事実である。これ即ち幽玄無上の風体であるのである。
又、田楽の風体は、殊に別種のものであつて、見物人も、猿楽の風体と同一に批判などは出来ないものだと、誰も誰も思ひ慣れてゐるが、近代に、田楽道の聖とも評判せられた本座の一忠などは、殊に物真似の数々を究めて居た中にも、鬼神の物真似、怒れる姿など、一つとして漏れた所は無かつたと聞いて居る。それで、亡父観阿は、常々、一忠のことを、自分の風体の師匠であると正しく言つて居られた。
普通多くの者は、或はつまらぬ諍慢心から、或は自分に出来ない為から、ただ一方面の風体ばかりを物にして、普く諸体に亙つて習ひ究める事を知らず、他の風体を嫌ふものが多い。しかし、これは「嫌ふ」とはいへないもので、ただ自分がやり得ないからの諍識に過ぎない。多くの風体を学び得ないものだから、一体を物にしたといふ称讃を一旦は博するが、花は久しくつづかず、名手として天下に許されるといふ事がない。これと反対に、堪能者であつて、天下万人に認められるほどの名人は、如何なる風体を演じても、面白いに相違ない。風体や演伎の型は、それぞれ(田楽・大和猿楽・近江申楽等)に別様ではあるが、面白いといふ点に於ては、何れも面白いのである。そして、この面白いと見る所が芸能の「花」なのである。この面白いといふ花は、大和猿楽にも近江申楽にも田楽の能にも、何れにも漏れることなく存するものである。この漏れる所の無い「花」を持つた為手でなければ、到底天下の名望を得るといふことは出来ない。
又曰く、物数の全部を悉く究め尽さなくても、たとへば、十中の七・八まで究めて居るといふ上手が、その究めた物数の中で、殊に得意とするところの風体を自分のもんてい(風体の誤写であらうか)の型と定め、且つそれに十分の工夫をこらして演じたならば、これ亦天下の名望を得るであらう。しかしながら、真実のところ、物数を十分に尽し究めて居ない場合には、或は都会と地方とにより、或は貴賤の別によつて、見物人から喝采を得る時と得ない時とがあることを免れない。
一体、能で名望を博するといふ事にも、種々の場合がある。上手は目の利かない人には賞玩され難いものだし、下手は目の利く人に認められることは出来ない。下手が眼の利く人に認められないといふのは、これは当然のことで、何の不思議もないが、上手が目利かずに認められないといふことは、これは見る人の眼識が低い為によるのである。しかし、真の上手で、工夫をつくす為手であるなら、又、眼の利かない者の目にも面白いと感ずるやうに、能をするに相違ない。この工夫と、芸の錬磨とを、兼ね備へ究め尽くした為手をば、花を究めた為手といふべきであらう。それで、この位にまで到り得た為手は、如何に老年になつても、若為手の花に負けるなどといふことは絶対にない。従つて此の芸位を獲得した上手は、天下に名人として許され、遠国田舎の比較的目の低い見物までも、あまねく面白い芸よと賞玩するであらう。この工夫を自得した為手は、見物人の好みや望みに応じて、大和風にも、近江風にも、又田楽の風体にも、何れにも渉る上手といへるであらう。この嗜み(錬磨と工夫公案をつくすこと)の本旨をあらはさんが為に、この風姿花伝書を草したのである。
以上、芸能の各風体に亙るべき事を説いたが、しかしここに注意すべき肝要な点は、自分の風体の型(大和風ならば大和風の型)の研究錬磨が疎かであつては、それこそ全く、能の生命などといふものはあり得ないといふ事である。自分の風体の型をおろそかにする者は、「弱き為手」といふべきである。自分の風体の型を十分に究めてこそ、その風体以外の普き風体をも認知した為手といひ得るのである。広く普く各種の風体に亙らうとして、その為に自分の風体の型を我物とするまで究めない者なら、その者は自分の風体を知らないばかりでなく、他所の風体をも確に知るなどといふことは、勿論出来ないわけである。そんな調子では、能は弱くて、久しい花を保つなどといふことは不可能である。久しく花が続かないのなら、それは何れの風体をも知らない者と全く同じだといへる。それで、花伝書の問答条々の花の段に於て、「物数をつくし、工夫を究めて後、花の失せぬ所を知るべし」と述べたのである。