〔評〕 修羅は、世阿弥の所謂軍体であつて、後年になると、老体や女体と共に、三体と名づけ、物真似の基本体とせられたものである。而して、この軍体能はその用風として、砕動風の諸曲を生み出すものと考へられて居るのである。然るに、此の物学条々に於て「よくすれども面白き所稀なり。さのみにはすまじきなり」といはれて居る所を見ると、軍体能の初めの時代のものは、さほど時好に投じなかつたかと思はれ、これを面白い曲に改めた功績は、主として世阿弥にあるのではなからうかと思はれるのである。「源平などの名のある人の事を、花鳥風月につくりよせて、能よければ、何よりも又面白し」とある言葉や、軍体能の名作が殆んど世阿弥作で、しかもそれが、前に引いた言葉そのままの理想に叶つた曲であることなどから考へて、かやうな想像がうかむのである。世阿弥の父観阿弥も、又観阿弥が、風体の師なりと尊重した本座田楽の一忠も、「三体相応の達人」といはれて居るから、一忠の時代からすでに軍体能は行はれて居たらしい事は想像せられるのであるが、これ等は「よくすれども面白き所稀なる」ものであつたのだらうと思はれるのである。
現行の修羅能は、面白きものである。それは「花鳥風月に作りよせて、能よろし」き故である。能の飽かれぬのは、花鳥風月を巧みに用ひてゐる点にあるとは、池内翁もよく言はれた所である。又修羅能の面白さは、鬼物と舞物との中間をゆき、舞ともならず鬼ともならない所に、一種特別の花があり味はひのある所にある。この点も、この条下に説かれる所から裏付けられる。「相構へて、鬼のはたらき、又舞の手になる所を用心すべし」の戒めは、両者の中間をゆくべきもので、油断すると、鬼又は舞になるぞといふ戒めである。