山家集
新院讃岐におはしましけるに、便に付けて女房の許より
水茎の書き流すべき方ぞなき心のうちは汲みて知らなん(崇徳院)
かへし
ほど遠み通ふ心の行くばかり猶書き流せ水茎の跡(西行)
又女房つかはしける
いとどしく憂きにつけても頼むかな契りし道の案内違ふな(崇徳院)
かかりける涙に沈む身の憂さを君ならで又誰か浮べん(崇徳院)
かへし
頼むらん案内もいさや一つ世の別にだにも迷ふ心は(西行)
流れ出づる涙に今日は沈むとも浮かばん末を猶思はなむ(西行)
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世の中に大事出で来て、新院あらぬ様にならせおはしまして、御髪おろして仁和寺の北院におはしましけるに、参りて源賢阿闍梨出で逢ひたり。月明くてよみける
かかる世に影もかはらず澄む月を見る我身さへ恨めしき哉(西行)
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讃岐へおはしまして後、歌と云ふことの世にいと聞えざりければ、寂然が許へ言ひつかはしける
言の葉の情絶えにし折節にあり逢ふ身こそ悲しかりけれ(西行)
かへし
敷島や絶えぬる道になく〳〵も君とのみこそ跡を偲ばめ(寂然)
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讃岐にて御心引きかへて、後の世の事御勤め隙なくせさせおはしますと聞きて、女房の許へ申しける。此文を書きて若人不嗔打 以何修忍辱
世の中をそむく便やなからまし憂き折節に君が逢はずば(西行)
これもついでに具して参らせける
浅ましやいかなる故の報にてかかる事しもある世なるらん(西行)
存命へて遂に住むべき都かは此世はよしやとてもかくても(西行)
幻の夢を現に見る人は目も合せでや世をあかすらんかくて(西行)
後人のまゐりけるに
其の日より落つる涙を形見にて思ひ忘るる時の間ぞなき(西行)
かへし
眼の前に変り果てにし世の憂きに涙を君も流しける哉(崇徳院)
松山の涙は海に深くなりて蓮の池に入れよとぞ思ふ(崇徳院)
波の立つ心の水をしづめつつ咲かん蓮を今は待つかな(崇徳院)
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讃岐に詣でゝ、松山と申す所に、院おはしましけん古跡尋ねけれども、形もなかりければ
松山の波に流れて来し舟のやがて空しく成りにけるかな(西行)
松山の波の気色は変らじを形なく君はなりましにけり(西行)
白峯と申す所に御墓の侍りけるに参りて
よしや君昔の玉の床とてもかからん後は何にかはせん(西行)
底本:国立国会図書館デジタルコレクション『山家集』短歌雑誌社編輯部 校訂 P.85, 92-93, 98