餓鬼
シテ 悪友 ワキ 北国方の僧 所 越中立山 時 秋盂蘭盆会 次第「悟れば近き法の道。〳〵。まよへば遠き闇路哉。 ワキ「是は北国方に住沙門にて候。我古へ悪友にまじはり。山賊夜盗の身成しが。友とする者うち討れ。不思議に我世にのこり。貴き知識にまみえ。先悔を悲しみ鬠切。能登の惣持寺に十三年取籠り。生死の一大事を観じ候。又秋来りうら盆会の時来れば。越中の立山に登り。悪友の十三廻を弔ひ申さんと。此程玆に来りて候。 サシ「実や無情を観ずれば。夢幻泡影の世成事を忘れ。一身を立ん其為に。悪業をなしける墓なさよ。 詞「是に流れの候。水せがきし。亡友を弔はふずるにて候。若人欲了知。三世一切仏。応観法界性。一切唯心造。 シテ「喃々御僧。唯今の破地獄の小施餓鬼を。救はん為には。など大施餓鬼をばなし給はぬ。 ワキ詞「不思議や四方の谷峰に。諸々の地獄の煙立上り。人住べくも見えざるに。人声するは何者ぞ。 シテ詞「実御見忘れは断也。是は古へ御身の友成し悪友成が。作りし罪の報ひの結果。畜生修羅に落こちの。立木を求て今は又。餓鬼の苦患を受るなり。 ワキ詞「扨は左様に有けるか。我悪念を翻し。今善念を求るも。かた〴〵うかめん為なれば。一切衆生諸共に。仏果菩提に至るべし。 シテ詞「荒有難の結縁や。悪人の友を振捨て。今善人と成給へば。 ワキ「其罪障は重く共。 シテ「法の力による浪の。 ワキ「うかめん事は安からん。 同「唯一念の悟りには。〳〵。無量の罪も消ぬべし。発起せよ〳〵。迷ひの雲は厚くとも。鷲の山風吹落ば。真如の月は澄べしや。〳〵。 ワキ詞「大施餓鬼にてぐんるいを弔ふべし。抑目連尊者。悲母の為にうらぼん会の供養有。其結縁不可思議也。猶々冥途に通ずる謂れ。生を替てはしるべし。末世の為に物語候へ。 クリ、同「夫餓鬼供養の事。天台の僧恵心大徳。往生要集に詳かに述作有。殊に正法念経に説。又ゆがろんに。明らか也。 サシ「暫く要集の心によらば。住所二つ有。 同「地下五百由旬有。是を焰魔王界と名付。二つに人天の間に有。其相甚多し。少分を上ていはゞ。 クセ「身のたけ一尺。或は千ゆぜん也。雪山の如し。大しつ経には。其身長大にして面目なし。手足猶。かなへの足の如く。熱火中にみちて。其身をやきとろかす。是財をむさぼり。人を殺せし報ひ也。又食吐と名付て。其長半由旬なり。常に嘔吐を求む。是は富て美食し。妻子けんぞくにあたへぬ罪の報ひ也。或は樹の中に有。逼迫せられて身を押事。とくさの虫の如くなり。是は梵僧の。園林を徒に。きり取し報ひなり。 シテ「論にいわく餓鬼の形地。 同「口は針の穴の如く。腹は大山にひとし。飲食とぼしく。適々少食に向へば。変じて猛煙と成て身をやく。人間の一月は。餓鬼の一日一夜として。五百歳の苦しみ。けんどんしつとのむくひ也。 ロンギ、同「実哀成物語。聞に心も白露の。魂も消る計也。 シテ「斯苦しみを受る身を。扶け給はん一乗の。法の御船に棹さして。彼岸に迎へ給へと。 同「云かとみれば忽ちに。身より火煙を出しつゝ。あつと計に叫ぶ声。大地にひゞきうせにけり。〳〵。(中入) ワキ「過去七仏を説法の。〳〵。亡者の為の大施餓鬼。声立山の草も木も。皆成仏の観ぎんかな。〳〵。 後シテ、一声「荒有難の御法やな。〳〵。 サシ「我は車の輪の如く。行廻り〳〵。輪廻の浪にちんりんして。うかむ世もなき苦海に沈み。餓鬼畜生の地獄道。生替り死替り。出でもやらざる六つのちまた。離れん事の有難さよ。 ワキ「不思議やな。口には離れし輪廻の言葉。姿は聞し餓鬼の形ち。何れを夢とわかたまし。 シテ「今日出そむる輪廻の姿。委敷苦患を顕はして。疑ひをはらし。今日の。ほうしやに。お僧に見せ申さんと。 同「云声の下よりも。〳〵。天地一同に鳴動して。六時不断の呵責の時ぞと。地に倒れて悲しめば。大地俄にはれつして。暴風吹出。罪人を。中天に吹あぐる。あふげば空よりりんぼうくわりん。車輪の如く打砕く。雪よ霰と見る中に。 シテ「れい〳〵と形地出来て。火煙の息をほつとつき。 同「滝水をのまんとて。歩みよる分野。よろ〳〵たぢ〳〵と。行ては倒れ立てはふし。かろうじて水をむすべば。くむよりはやく。ほのほとなり。滝坪に飛びたれば。熱湯と涌返り。見るにひまなき苦しみなれども。今御僧の弔ひに。即時に悪趣の苦患を払つて。涼風百味のをんじきわきみち。成仏する社有がたけれ。成仏するぞありがたき。 底本:国立国会図書館デジタルコレクション『古今謡曲解題』丸岡桂 著、『宴曲十七帖 謡曲末百番』国書刊行会 編